遺書の構成
年末に遺書を書いた。
完璧主義の私は、遺書の起承転結にこだわり、各段落のバランスや、どこで盛り上げるか、なんてことに真剣に悩んでいる。
遺書なのに。
どこまで人の目を気にするんだ。
最後の締め方についてはまだしっくりきていない。
私のわずかな財産をどう取り扱うか、大事なぬいぐるみ達をどうしてほしいとか、まだ書きたいことがある。
遺書ひとつとっても、私の変な性格が表れていて、ツッコミどころ満載だ。
完成まで、しばらく時間がかかりそう。
管理職になること
課長になってくれないかと、以前から打診を受けていた。
私も、それが自然な流れだろうと思っていた。
そもそも、管理職になってくれと言われる人は、もともとほぼ管理職に近い形で仕事をしている人だと思っている。
だから、肩書きがつくだけで、実体としてはほぼ現状と変わらないはずなのだ。
でもパニックや躁鬱病になると、自分でブレーキをかけてしまう。
ただでさえ毎日不安で眠れないのに、変な肩書きが付くだけで余計にプレッシャーを感じてしまうのでは…と怖くてたまらない。
今よりも眠れないなんて、もう仕事ができる状態じゃない。
さらに、役員からも「考えておいてくれ」と日々プレッシャーをかけられ、ノイローゼ気味に。
とうとう本日、「病気が少し良くなるまでは無理そうです」と回答した。
今はほっとしている。
きっと考え過ぎなのだろうけど、今の私にはとても無理だ。
感情が吹き出す
私は普段、ネガティブな感情を抑えている。
空気を明るくする良い子でいないと、愛されないと思っているからだ。
みんなの前では、辛くても笑顔で明るく振る舞うように心がけている。
そうする以外に、人前での振る舞いを知らないのだ。
会社や家では、基本1人になることはないので気づかないが、主人が飲み会で不在の時や、トイレなどのちょっとした1人の時間に、負の感情が溢れて止まらなくなる。
私はいない方がいい、消えたい、死にたい。
この間も、その勢いで首に紐を巻き付けてしまった。
自分で制御できないほど、どんどん感情が増殖していく。独り歩きして、止められない。
人間は、きっと感情を100%抑え込むことなんてできないのだろう。普段から、ネガティブな感情を認めてあげることが大切だと思う。
それが生きることなのかもしれない。
私も心がけているが、すぐ感情の波にのまれるだけだ。
まだまだ、まともな人間には程遠い。